マラネッロはいつものように午後4時を迎えます。しかし、エンツォ・フェラーリは、その日が特別な日になることを予感していました。彼の前には、心臓部だけを備えたボディのない1台の車があります。フェラーリにとって心臓部とはエンジンを意味します。そして、その心臓部は鼓動の始まりとともに大きな音を響き渡らせました。最初は控えめだった音は次第に激しさを増し、田舎の静けさを突き破る咆哮へと変化していきます。その様子は、何かに対して挑戦的な態度を示しているかのように感じられました。フェラーリは時代をリードする自動車メーカーらに対して挑戦をしようとしていたのです。
しかし、この目標を達成するには、125 Sとネーミングされた車のポテンシャルを、自分自身で証明しなければなりません。彼もそのことを知っていました。エンツォはステアリングを握ると準備完了の合図を送ります。エンジニア達がシャシーとエンジンの作業を終えた数時間後のこと、彼は工場の門から外に出ると、隣町のフォルミージネに向かって真っすぐに伸びる道を眺めます。1947年3月12日のことでした。現在へと続くフェラーリの歴史はここから始まったのです。70年が経過して歴史は伝説に彩られ、マラネッロの小さな工場と小さな田舎町は、優秀な頭脳と最先端の技術が集まる世界的にも有名な場所へと成長しました。すなわち、最も知名度の高いフェラーリのシンボルとなったのです。 フェラーリはその歴史をさまざまな形で祝福します。特別なロゴをデザインしたことがそのひとつです。このロゴには、跳ね馬モデルがスタイリッシュなデザインとディテールへのこだわりを大切にしていることが表れています。数十年にわたる伝統を守りつつ、フェラーリ・ブランドを未来に向けて解き放っていくためのシンボルです。歴史を祝福する手段の中には、エクスクルーシブな車を創ることも含まれます。最新の特別限定シリーズ・モデルとなるLaFerrari Apertaは、テクノロジーとスタイリングの点において他に類を見ないモデルです。 さらに、フェラーリは、クリエーティブな職人の技にスポットライトを当てます。フェラーリの職人は車両をカスタマイズしてきた経験から70種類のデザインを誕生させました。フェラーリの歴史を彩る数々のアイコンモデルが職人の技に磨きをかけてきたと言えます。そして、60ヶ国以上を訪れる世界ツアーも実施し、跳ね馬の国際性を強調します。イタリアを含めた全世界で開催されるこの長期イベントにはクラシックカーと最新モデルも姿を見せ、70年間変わらぬ勇気と決意によって育まれてきた不朽の神話を祝います。