フェラーリには、かつてないほどの斬新な設計コンセプトと方法論によって創造された、後に「スーパーカー」の称号を冠されることになったモデルのラインが存在します。その始祖となる1980年代の象徴的な車輌をご紹介しましょう。その名もFerrari GTOです。
GTカーを対象とした新しい選手権をグループBのルールで開催するとFISA(国際自動車スポーツ連盟)が発表したことを受け、エンツォ・フェラーリはこの新たな挑戦に向けて熱意を示し、GTOの開発に取り掛かりました。このプロジェクトは、偉大なるデザイナーであるマウロ・フォルギエリの陣頭指揮によって進められました。彼は、高度な研究に専念する目的でフェラーリのGES(ゲスティオーネ・スポルティーバ)部門を離れると、手始めに308 GTBの駆動系に対してF1由来の驚くべきソリューションを取り入れています。 リアミッドシップのエンジンレイアウトといったスポーツカーならではのコンセプトと、当時の最先端技術を見事に融合させたことにより、GTOはあらゆる部分において究極の完成度を実現させました。事実、このGTOは、革新的な合成樹脂「ケブラー」をボディシェルに使用した初めての車です。同時に、F1由来の電子制御式燃料噴射システムを採用した初めてのプロダクションモデルでもあります。この燃料噴射システムを搭載したことで、V8エンジンの最高出力は400 cvにおよびました。さらにこのGTOは、グループBの規定に準拠させることもあり、排気量が2,855 ccへと縮小されています。そしてF1マシンと同様、エンジンには各バンクに、IHI製ターボチャージャーとインタークーラーがそれぞれ設けられました。GTOは、当時の他のプロダクションモデルがまったく追いつくことのできない、時速305 kmという驚愕的な最高速度を叩き出しています。F1と密接な関係があることから、1984年のシーズンに向けた対策として、フェラーリはルネ・アルヌーとミケーレ・アルボレートという、スクーデリアのドライバー2名を開発に取り込みました。実際のところ、エンツォ・フェラーリは、126 C4よりもGTOの開発の進捗により大きな関心を示すことが度々ありました。 FISAがグループBの廃止を決定したことで実際のレース参戦は実現しなかったものの、GTOは、GTレースで活躍したかつてのモデルと肩を並べるほどの仕上がりでした。また、この車はそのネーミングからも、跳ね馬の歴史の中で最も象徴的な1台である「250 GTO」を連想させます。 ピニンファリーナによるGTOのスタイリングは、「308 GTB」の各部のラインにインスパイアされただけでなく、「Millechiodi」として知られる308 GTB Specialeのエアロダイナミクスに関する研究結果にも影響を受けています。
ただし、迫力に満ちた各部のラインにはいちだんと磨きがかけられ、エアロダイナミクスに関する効率性が新たな次元へと引き上げられました。 GTOは、フェラーリの歴史において、まさしく初の限定生産モデルでもあります。計画されていた200台は、1984年のジュネーブモーターショーにおける発表を前に完売しました。この結果、72台の追加生産が決定しましたが、当然のごとく、それらもすぐに売れてしまいました。