フェラーリは、モーターショーにおいて初めて車を披露しました。トリノにおけるこのプレゼンテーションは、ある意味、夢を実現させた最高の瞬間でした。
ドライバー兼チームマネージャーで、レーシングマシンの設計・製造にも携わっていたエンツォ・フェラーリは、やがて自身の自動車会社を立ち上げ、華々しく開催された国際的なショーにおいて少量生産モデルを発表しました。 それが166 MMです。車名に含まれているMMは、ミッレミリアを表しています。同年の5月に開催されたこのレースでは、クレメンテ・ビオンデッティとジュゼッペ・ナヴォーネがアレマーノのボディを架装した166 Berlinettaで勝利を収めています。 もちろんこの166 MMは、歴史的な1台となる運命にありました。 それは、トリノで発表されたBarchettaボディの166MMが、モータースポーツで成功するために造られたことだけが理由ではなく、他に類を見ないまったく新しいタイプの車でもあったからです。Barchettaとは小舟の意味であり、当時この車を目にしたマスコミ陣が、その形状からこのようなニックネームを付けました。それ以降、Barchettaは、オープントップのスポーツプロトタイプモデルを示す言葉として用いられるようになったのです。
多くの期待がかかっていた166 MMは、フェラーリにとって非常に重要な存在でした。 速さと力強さを兼ね備える一方、そのソフトでシンプルなラインは、独自のエレガンスと上品さを演出していたと言えます。実際、マラネッロはこの166 MMを基にして将来的にどのようなロードカーを生み出していくかの青写真を描きました。この車が前例の無いモデルであることを、エンツォ・フェラーリは十分に理解していました。 そして万能なスポーツプロトタイプは、サーキット、市街地コース、ダートトラックなど、様々なシーンで勝利することができるという実力を証明しました。さらに、これらのモデルは、権威ある他の国際的イベントにおいても脚光を浴びつつありました。 そのひとつが、当時足場を固めつつあったコンクール・デレガンスです。このイベントは、新たな顧客に出会えるという点だけでなく、販売する車両に各オーナーのテイストや要望を反映させるという点においても、その重要性が高まりつつありました。 とりわけ車両のカスタマイズという点では、多くの個人ドライバーがレーシング仕様の166 MMを購入し、様々なレースへの出場を実現させています。また、裕福なドライバーの中にはオンロード仕様を選択し、エクステリアやキャビンに対するカスタマイズを楽しむ方々もいました。 そして世界中のモーターショーも、その重要性が次第に高まっていったことから、 フェラーリでは、世界的に最も重要なイベントで166 MMを発表したいと考えたのです。トリノは数多くの自動車メーカーやコーチビルダーの本拠地でもあったことから、こうした考えに至るのも不思議ではありません。
166 MM Touringにスーパーレッジェーラ構造のボディを架装するにあたり、フェラーリはミラノのコーチビルダーにボディの製造を依頼しました。このコーチビルダーが発明したスーパーレッジェーラ構造は、すでに航空機産業においてその真価を発揮しています。 特許を取得したその手法の中には、アルミニウム合金製のパネルを、小径のスチール製チューブで造ったフレームに直接固定するというものも含まれています。この手法によってシャシーとボディを均質に一体化させることができたため、優れた剛性が確保されるとともにシャシーの耐荷重性も安定し、後のモデルにも採用されることとなりました。 166 MMの明快でシンプルなフォルムは、優れたエアロダイナミクス性能を発揮することも証明されています。 低く構えたこの車は空車重量がわずか650kgでしたが、搭載されるV12エンジンは最高出力140 hpを発生、燃料タンクの容量は90リッターにおよんでいました。 トゥーリング・スーパーレッジェーラのボディを架装した166 MMは、わずか25台しか生産されませんでした。そのうちの1台をジャンニ・アニェッリが購入。これが彼にとって初めてのフェラーリとなりました。