1982年のMondial 8を再設計し、1気筒4バルブの新型V8エンジンを採用したモデルをベースとしたカブリオレが、例によって北米市場で強い支持を集めました。コンバーチブルのフェラーリがそう多くはなく、マラネッロが最も多く製造したのは最初からオープントップとして設計された2シーターのスパイダーです。一方、クーペに由来するコンバーチブルは4シーターになっています。
Mondial Quattrovalvole(QV)のコンバーチブルバージョンは、1983年9月に、いつもどおりエンツォ・フェラーリがドゥカーレ宮殿のモデナ陸軍士官学校で主催した記者会見において報道機関に公開されました。その後、このモデルは、翌年1月のブリュッセルモーターショーで公式にデビューします。シリーズの最初の車両が届けられたのは、言うまでもなく米国西海岸、中でもカリフォルニアの顧客でした。欧州市場向けの生産はその後始められました。ソフトトップモデルにクーペと同じシルエットを持たせたピニンファリーナの技術は見事なものでした。リヤウインドウの2本のアップライトの基部に固定されたソフトトップは、アームレストで分割されるリヤシート後部のコンパートメントに折りたたんで収納されます。ここにはエンジンも格納されています。 当時、手動式のソフトトップの技術はまだ開発段階でした。そのためソフトトップ機構はかなり複雑で、ソフトトップを傷つけないように折りたたむには注意が必要でした。それでも美しさという点においては、Mondial Cabrioletはすばらしいものでした。 カブリオレは、クーペ同様に1985年と1989年に2回スタイル変更されて、Mondial 3.2とMondial Tが生まれました。1988年6月には、ローマ法王ヨハネパウロ2世がモデナに向かう途中でフェラーリを訪問。ピエロ・フェラーリが運転するMondial Cabrioletでフィオラノサーキット周囲を走り、人々に祝福を与えました。 8グループフォーGr4は多少の勝利を挙げましたが、もはや4輪駆動モデルの圧倒的なパワーには敵いませんでした。フェラーリがラリーを断念することはなく、1985年に向けたGTOの開発作業が始まりました。しかし、国際自動車連盟(FIA)によるレギュレーションの変更によって、この新たなプロジェクトは白紙に戻されたのです。