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見事なオートマチック

初のオートマティック・フェラーリ

見事なオートマチック
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400 Automatic
512 BB
312 T2
400 GT
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見事なオートマチック
1976
00:00
1976ニキからジョディーへ

見事なオートマチック

初のオートマティック・フェラーリ

1976年のパリモーターショーにおいても、それまでと同様に新しいフェラーリが発表されました。マラネッロは人々を驚かせる術を心得ていたことから、ニューモデルに期待を寄せる人々は、いつもその登場を心待ちにしていました。フェラーリのニューモデルは、デザイン、パフォーマンス、先進技術の点で異彩を放っていたのです。

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パリで発表された新しい400シリーズは、365 GT4 2+2の後継モデルとして登場したもので、ピニンファリーナのスタイリングはほぼそのままに、ノーズの下部に設置されたフロントスポイラーやリムに若干の変更が施され、ラジエターグリルの跳ね馬が外されました。そして内装には、よりラグジュアリーな雰囲気を演出できるデザインを採用。エンツォ・フェラーリが この車を「イブニングドレスをまとったGT」と呼んだことからも分かる通り、その風貌にはエレガンスが漂っていました。オートマチックトランスミッションを搭載した新しいモデルは400 Automaticと呼ばれ、400 GTにはマニュアルトランスミッションが踏襲されました。モデル名の数字は、総排気量が4,823㏄となったエンジンの1気筒あたりの排気量を表しています。

オートマチックトランスミッションが採用された以外にも、長い全長ときわめて広い室内空間が特徴でした。先代の12気筒モデルは適正コストをオーバーしたとして米国での認可を受けることができず、同国での販売を見合わせることとなってしまいましたが、この車は米国でも認可を受けています。エンツォ・フェラーリは、彼の友人ルイジ・キネッテイが米国で自動車の販売を開始以降、北米市場に大きな関心を寄せていたため、同市場での販売を目的としてこのニューモデルを特別に製作したのです。しかし、そうした経緯にもかかわらず、アメリカ国内では中古車市場を除き、正式に市販されることはありませんでした。

一方、英国においては、右ハンドル仕様車が非常に大きな成功を収めています。エンツォ・フェラーリは、フェラーリファンのマインドに刻まれたスポーツオンリーという画一的な考えを払拭したいと考え、それを実現できるモデルを発表すべく果敢に取り組んだのです。当時は、フェラーリの原点であるレースの世界にオートマチックトランスミッションが取り入れられることなど、現実的にはあり得ないと考えられていました。当時は、フェラーリの原点であるレースの世界にオートマチックトランスミッションが取り入れられることなど、現実的にはあり得ないと考えられていました。

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1976年の傑作