Dino 308 GT4は、フェラーリの中でも独自の存在感を放つモデルです。このニューモデルは、V8エンジンを搭載した量産型ロードカーの第1号、そしてミッドシップエンジン搭載4シーターの第1号(実際は2+2)と、マラネッロとしても初めて尽くしのニューカーだったのです。このモデルのスタイリングはピニンファリーナではなく、1953年以降に初めてベルトーネが手がけました。
このモデルはパリモーターショーで発表されました。マラネッロで生産されたV12エンジン以外を搭載したモデルの慣例として、このモデルにはDinoのエンブレムのみが冠されました。308 GT4は、246 GTおよびGTSの生産終了前にラインナップに加わりました。車名の数字は排気量と気筒数を表しており、この場合は3リッター8気筒、 4は4シーターであることを示しています。このモデルは、全長がわずか4.3mですが、2つのリヤシートを備えており、コンパクトなボディにパワフルなエンジンを組み合わせ、スペースを最大限に活かしています。排気量2996 cc、250 hpを発揮する90° V8エンジンはリヤアクスル前方のミッドセクションにマウントされ、最高速度は230 km/hに達し、後輪駆動方式を採用、5速ギアボックスが搭載されています。 このモデルは1974年から1978年まで生産されました。15年前までは比較的安価なヒストリックカーとされていましたが、現在は再び脚光を浴び、その価格は2倍(場合によっては3倍)に跳ね上がっています。
Dinoの名は1976年末まで用いられ、その後フェラーリ・ブランドに改称されました。これにより、特に米国で顧客にアピールができたのです。Dinoは、他のモデルが認可されなかったため、米国のディーラーが顧客向けに販売できる唯一のモデルであった時期がありました。長年エンツォ・フェラーリが目指した市場である米国に送り出すことができる唯一のモデルとして、フェラーリ・ブランドに移行した後も、すでに輸入された車輛のテールにはDinoのエンブレムが残されましたが、のちに跳ね馬のエンブレムのみが使用されるようになりました。
特に1975年モデルのブラックのDino 308 GT4はエルヴィス・プレスリーが所有したとされ、今でもその名が広く知られています。このDino 308 GT4にはラゲッジコンパートメントがあり、スペアタイヤを備えていました。この方式は、のちにすべてのメーカーで採用されることになりました。その後、2.0リッターエンジンの208 GT4も登場しました。これは、オイル危機が背景にあったことと、当時のイタリアの高い税率に対応するために生まれたモデルです。