革新的なPurosangueには、フェラーリの歴史における根本的な要素、 すなわち、研究を絶え間なく行い、イノベーションを追求し続けていく姿勢が見事に表れています。私たちは、フェラーリの歴史における、重要なターニング・ポイントをいくつか振り返ってみます
エンツォ・フェラーリの鋭いビジネス感覚は、ある意味でロマンティックな一面と結びついていました。フェラーリは、世界最高のエンジンを搭載し、最も品格のあるカロッツェリアがデザインしたボディをまとい、献身的な職人が手掛けたスポーツカーであると、彼は断言していました。
最新モデルのFerrari Purosangueは、多くの点で最も印象的であり、エンツォ・フェラーリならではのもうひとつの特性、 すなわち、実用主義が盛り込まれています。エンツォは、「実用的な」フェラーリという概念に異論を唱えてはいませんでした。
Purosangueは、登場するべくして登場したモデルだと言えます。「チェントロ・スティーレ(スタイル・センター)」ならではの技術とこだわりにより、ミリ単位で真のフェラーリを感じられるように設計されています。このほか、ドアの数が増えている点も特徴です。
エンツォ・フェラーリ (中央) 自身も4シーターの車を楽しんでおり、彼のお気に入りはオートマチック・ギアボックス付きライトブルーの 365 GT 2+2 でした
これについては、フェラーリ初のロードカーが誕生した頃の物語と重なる部分があります。そのロードカーとは166 Interです。166 Interは、1949年のル・マン24時間でフェラーリに初勝利をもたらした166MM Barchettaなど、フェラーリ初期のレーシング・モデルをよりフォーマルかつ実用的に仕立て上げた1台です。
エンツォ自身は、250を巧みに発展させた250 GT 2+2がお気に入りでした。エンジンとその補助コンポーネントを12インチ(約30センチ)前方に移動させるとともに、全長を12インチ拡張することで、2つのリヤ・シートを収めていました。
後継モデルとして330GTが登場すると、エンツォもこちらに乗り換えます。イギリスでは、ジョン・レノンが運転免許証の取得を祝し、美しいブルーの330GTを迎え入れました。機知に富んだフェラーリの販売員は、家族思いの彼が4シーターを好むと正しく判断していたのです。
フェラーリは、250 GT 2+2 で最初の量産 4 シーターを製造しました; 映画スターのピーター・セラーズと妻のブリット・エクランドの愛車 Dino 206 GT;80 年代の幕開けとなった驚くべきコンセプトカー、Pinin
フェラーリの革新はさらに進みます。1967年には、エンジンをミッドシップ・レイアウトしたフェラーリ初のロードカーとして、初めて6気筒エンジンを搭載したDinoが登場しました。友人であるセルジオ・ピニンファリーナと、バッティスタ・ピニンファリーナの義理の息子であるレンツォ・カルリの説得により、Dinoはよりコンパクトで、よりパワフルなモデルとして開発されました。販売資料によれば、より手頃な価格で購入できる「フェラーリ同然のモデル」という位置づけであったようです(Dinoに跳ね馬のエンブレムが備わることはありませんでした)。
1980年に発表されたPininは、 フェラーリ史における 大胆なコンセプト・モデルです。ピニンファリーナの50歳の誕生日を祝して考案されたPininプロトタイプには、4ドア・サルーンのフェラーリというアイデアが取り入れられました。Pininには、512BBに使用されていたフラット12を搭載。これによってPininは、フロントにこのエンジンを搭載する唯一のフェラーリとなったのです。豪華なリムジンとの組み合わせはいくぶん奇妙ですが、このエンジンのコンフィグレーションにより、Pininの劇的なまでに低いボンネット・ラインと、そのエレガントなシルエットが実現しました。
90 年代、マラネッロはエアロダイナミクス面とセミ・オートマチック・トランスミッション用の F1型のパドルシフトの導入で F355 において大きな進歩を遂げました
続いて、フェラーリにおける4WDの歴史が幕を開けます。1969年、フェラーリF1のテクニカル・ディレクターであったマウロ・フォルギエリは、4輪駆動を検討する価値があることを早くも指摘していました。それから約20年後、彼は2台の新しいプロトタイプを開発するという任務を担います。2台の408 4RMでは、ボンディングされたオール・アルミニウム製のシャシーと、油圧カップリングによって前後約70:30のトルク配分を実現する4WDについての研究が行われました。
フロント・ホイールとリヤ・ホイールの回転速度の差が大きいほど、油圧カップリングはその差を制御しようとします。当時エンジニアリング部門を率いていたピエロ・フェラーリは、 「今後は、フェラーリ哲学の基本に注力する」と結論付け、4WDの導入を見送りました。
2011 年、フェラーリは初の全輪駆動車である FF を導入し、再びゲームを前進させました
さらに20年ほど経った2011年の段階でも、その哲学は守り続けられました。FFは今も昔も主流ではありませんが、独創的なフェラーリの理念の素晴らしい一面であり、驚異的な汎用性を備えた「シューティング・ブレーク」です。
Purosangueは、フェラーリらしいハンドリングを維持しながら、新次元の機能を持ち合わせます。
その誕生は、気になる類似点を探すブランド研究家らの興味を刺激します。独自の名前を付けて販売された最初のフェラーリ(エンジン排気量への言及なし)は、4シーターのMondial 8で、ミッドリヤ・エンジンのコンフィグレーションを中心にしたインテリアのパッケージを実現させました。同じく4シーターの456GTは、リヤ・トランスアクスルを備えたV12エンジンをフロントに搭載していました。1994年に輝かしく登場したF355では、ロードカーにおけるアンダーボディのエアロダイナミクスが大幅に改善されました。その3年後にセミ・オートマチックのパドルシフトが導入されています。このパドルシフトは1989年、F1マシンのFerrari 640に初めて搭載されました。アクティブ・エアロの登場は2002年のFerrari Enzo、電子制御ディファレンシャルとステアリング上のManettinoは2004年のF430に搭載されました。これらすべてがフェラーリのロードカーに革命をもたらし、世界に衝撃を与えました。さらに、LaFerrariでフェラーリ初のハイブリッド技術をデビューさせてから、早くも10年が経とうとしています。
実に、Purosangueには、フェラーリ史75年に渡り蓄積されたすべてが詰まっています。そしてまた、新たなる時代の幕が開くのです。