内燃エンジンは明らかに革命の時代に入っており、世界が電力も受け入れ始めているため、すべてのコンフィグレーションの中で最も優れているV12に敬意を表する価値があります。
歴史的にスポーツカーや高級車の究極のエンジンとして数々のF1やスポーツカーレースで優勝を飾ってきたV12は、今日でもトップエンド車の最高のパワートレインであり続けています。今でもフェラーリのフラッグシップエンジンであり、最新モデルのPurosangue、812、およびアイコナシリーズ(Ferrari Daytona SP3およびMonza SP1/SP2)に搭載されています。
V12は、シリンダー数の少ないエンジンに比べて特有のメリットをもたらします。驚異的な滑らかさで(特にフェラーリが歴史的に好んだ60度の角度では基本的なバランスは完璧です)高回転数を可能にし、パワフルなうえにエンジン音は素晴らしく、パワー伝達は非常にスムーズです。また、常に爽快な運転を実現します。エンツォ・フェラーリが熱心な支持者であり、フェラーリの初期の車がすべてV12であったことも不思議ではありません。その主な欠点である複雑さは、エンジニアリング上の課題をさらに増やしました。もう一つの重要な問題であるコストについては、フェラーリにとって重要な関心事になることはありませんでした。
フェラーリほどV12エンジンで有名な自動車メーカーはありませんが、V12を発明したわけではありません。このコンフィグレーションは、20世紀初頭にレーシング ボートで初めて使用されました。1930年代、V12エンジンは、エンジン本来の滑らかさと洗練さに魅力を感じたロールスロイス、イスパノスイザ、リンカーン、キャデラックの高級車に使用されました。メルセデスとアウトウニオン、そしてアルファロメオは戦前のGPレースでV12を採用しました。しかし、フェラーリが初のV12搭載車である1947年の125 Sでこのフォーマットの可能性を証明するまで、V12は戦後のスポーツカーレースにほとんど登場しませんでした。まもなく、はるかに大きな排気量を備えたマシンを相手に自動車レースで勝利を収めるようになります。
1949年には、Ferrari 166 MMがル・マンで優勝します。その2.0リッターV12エンジンは、ル・マン24時間レースの優勝車の中で最小の排気量と最大のシリンダー数を備えていました。さらに、このフランスのクラシックレースで優勝した初のV12エンジンとなりました。
1951年のイギリスGPでのフェラーリの勝利(世界選手権初優勝)は、V12エンジンによるF1初勝利でもありました。また、初の世界スポーツカー選手権(1953年)では、V12エンジンを搭載したフェラーリ(340 MMと375 MM)が優勝を飾りました。
最初のV12フェラーリエンジンは、エンツォ・フェラーリの監督の下、元アルファ ロメオのジョアキーノ・コロンボによって設計されました。排気量は1.5リッター弱で、これまでに造られた中で最小のV12エンジンになります。しかし、大幅な改良が加えられたこの由緒あるV12は、排気量が4.9リッターに達する1989年までフェラーリに動力を供給し続けました。
高い汎用性という特徴から、V12はF1、スポーツカーレース、そしてフェラーリのトップエンドの公道スポーツカーに最適でした(すべてのフェラーリの中で現在最も高価な1962年の250 GTOは3.0リッターのコロンボV12、 1968年の365 GTB4 Daytonaは4.4リッターバージョンをそれぞれ使用しています)。その洗練性と無理のないパワーは、グランドツアラーやカブリオレなど、スポーティなフェラーリにも明らかに適していました。
F140として知られる最新のV12エンジンファミリーは、2002年にリミテッドエディションスーパーカーのEnzoでデビューしました。これは世界で最もパワフルな自然吸気エンジンでした。
現在、チューニングの異なる同じエンジンが、812 Superfast、812 GTS、812 Competizione とそのスパイダー・バージョン、アイコナシリーズ、そしてPurosangueに搭載されています。このフェラーリの新しいクロスオーバースタイルの4輪駆動4シーターにV12が選ばれたのは、そのパワー(セグメント内で最も強力な725cv)、エンジンサウンド、運転の爽快感、滑らかさからでした。つまり、フェラーリがその誕生以来、V12エンジンを支持してきたのと同じ理由です。