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25 11月 2021Cars

ICONAにインスピレーションを与えたレース

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ICONAにインスピレーションを与えたレース

Ferrari Daytona SP3の名称は、1967年のデイトナ24時間レースにて有名な1-2-3フィニッシュを成し遂げたことから来ています

文: ギャビン・グリーン

それは、モータースポーツの歴史における最も印象的なシーンの一つでした。

1967年、デイトナ24時間レースにて、3台のフェラーリが並んだ状態のままチェッカー・フラッグを受け、1-2-3フィニッシュを成し遂げました。しかも、その勝利をいちだんと華々しいものにしたのは、フォードの本拠地である米国で掴んだ勝利であったということです。当時の世界スポーツカー選手権で、フォードはフェラーリ最大のライバルだったのです。


フィニッシュ時の写真は、世界中の新聞や雑誌に掲載されました。そして「デイトナ」はフェラーリの成功を表す代名詞となり、フェラーリ最高峰のベルリネッタに含まれる365 GTB4が翌年に登場すると、それはFerrari Daytonaという愛称で知られるようになりました。




世界中を巡ったイメージ:デイトナ24時間レースでのフェラーリの有名な1-2-3フィニッシュ




このデイトナという名称は、6.5リッターのV12エンジンを搭載する新型モデル、Ferrari Daytona SP3にも受け継がれています。この車はフェラーリのIconaシリーズに加わった最新モデルであり、60年代に登場したフェラーリのレーシング・プロトタイプ、そして1967年にデイトナで獲得したかの有名な勝利、これら両者のスピリットを取り込んだ1台に仕上がっています。 


前年の1966年、フォードはフェラーリを表彰台の最上段に寄せ付けませんでした。フォードの新型スポーツ・レーサーGT40は、その年のデイトナで優勝すると、ル・マンではフェラーリの7連覇を阻む栄光を手にし、フェラーリを僅差で抑えて選手権のタイトルを獲得したのです。


翌年、フェラーリはリベンジに臨みます。リベンジを果たすには、米国で最も権威があるスポーツカー・レースの本拠地「デイトナ」を舞台とした、チャンピオンシップの開幕戦に優勝するのが一番でした。 




新型Ferrari Daytona SP3にインスピレーションを与えた車両と有名なレースをご覧ください




この大会では、フェラーリの新しいマシンである330 P4もデビューしています。330 P4は330 P3を進化させたモデルであり、最大の変更点は、4.0リッターのV12エンジンに3バルブのシリンダー・ヘッドを採用し、最高出力を420 cvから450 cvに引き上げたことです。また、フェラーリが設計した新しい5速ギアボックスが搭載されたほか、サスペンションやブレーキも再設計され、ボディの空力特性とダウンフォースも向上していました。フェラーリを象徴するこのスポーツ・レーシングカーは、フェラーリの若きテクニカル・ディレクター、マウロ・フォルギエリが手掛けた、完成度の高さと美しさを兼ね備える1台でした。




最終的にレースに勝利する330 P4のピットストップと給油




デイトナには2台のP4が出場しました。1台はオープン・トップのスパイダーで、P3のシャシーがP4仕様に改良されていました。ドライバーを務めたのは、フェラーリの新しいF1チーム・リーダーとなったクリス・エイモンです。彼はその前年にフォードでル・マンを制していました。そしてニュージーランド出身のエイモンとデイトナでペアを組んだのは、フェラーリのF1ドライバーとして長年活躍してきたロレンツォ・バンディーニです。エイモンは60年代後半に活躍したF1ドライバーですが、不運なことに、グランプリでは1度も勝利を手にしていませんでした。デイトナの数ヵ月後、バンディーニは不幸にもモナコGPで命を落としてしまいます。

 

スクーデリア・フェラーリから出場したもう1台は、新型クローズド・ルーフのP4ベルリネッタ・クーペで、ドライバーは、イギリス人のマイク・パークスと、前年のイタリアGPでフェラーリに優勝をもたらしたルドヴィコ・スカルフィオッティです。このP4のバックアップだったのが、412Pでした。P3をデチューンしたモデルで、搭載されたV12エンジンには最新のフューエル・インジェクション・システムではなくキャブレターが採用されています。412Pは、ノース・アメリカン・レーシング・チーム(NART)からエントリーされ、ドライバーは、メキシコのF1スター、ペドロ・ロドリゲスと、1964年のル・マンで優勝したジャン・ギシェでした。


対するフォードは、最高出力530 cvの7.0リッターV8エンジンを搭載した6台のGT40で参戦します。他にも、アメリカのシャパラル・チームやポルシェ数モデル、プライベート・チームからエントリーしたフェラーリなどが参戦していました。




1967年1月、デイトナ24時間レースに向けテスト中の330 P4




レースは2月4日土曜日、午後3時にスタートしました。シャパラルに乗った元フェラーリ・チームの世界チャンピオン、フィル・ヒルがすぐさまトップに躍り出ます。しかし3時間後にヒルのマシンにトラブルが発生すると、レースの主導権はフェラーリに移りました。P4はフォードGT40よりも速く、信頼性にも優れていました。ファクトリー・チームのGT40は6台中5台がリタイヤ。


エイモンとバンディーニは、パークス/スカルフィオッティ組のP4に3周差をつけて優勝。NARTのフェラーリ412Pは、さらに26周遅れで3位でした。フィニッシュに際してチーム・ディレクターのフランコ・リニは名案を思いつきます。そして彼は、トップの3台がパレードのように並んでフィニッシュ・ラインを通過するように指示したのです。フェラーリの優位を示すには、実に効果的でした。


こうしてエンツォ・フェラーリは、フォードに対してのリベンジを果たしたのです。P4の活躍によってフェラーリはスポーツカー世界選手権を再び制することができたため、エンツォは1967年のシーズンを笑顔のまま終えました。




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