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50年の魔術

18 marzo 2021

オフィシャル・フェラーリ マガジンが第50号を迎えました。これを記念して、「50」という数字にまつわる興味深いストーリーや人々との「出会い」を楽しみながら跳ね馬の歴史を辿ってみます。

50年のレガシー – デイトナから812 GTSまで

1969年にフェラーリが伝説的な「デイトナ」のコンバーチブル・バージョン、365 GTS4を発売したとき、これを最後にその後50年にわたり、V12フロントエンジン搭載のコンバーチブルが世に送り出されなくなるなど、世界中のほぼ誰もが考えもしませんでした。この「デイトナ」スパイダーの魂は、2019年に812 GTSがその歴史的ベールを剥ぎ取ったことで神々しく目覚めました。


50回目のフェラーリの勝利 – 1949年10月16日にジャンニ・マルゾットが達成

フェラーリはレースに初めて参戦してからわずか数年後の1949年、黄金のマイルストーンをクリアしました。50回目の勝利を飾ったのです。その舞台となったのはヴェルミチーノ - ロッカ・ディ・パーパのヒルクライム。マシンはFerrari 166 MMで、ドライバーはジャンニ・マルゾットでした。


D50 – 1956年の世界選手権にファンジオを引き入れたマシン

栄光のグランプリ・マシンであるD50は、もともとランチアのためにヴィットリオ・ヤーノが設計したものでした。しかし、トリノを本拠地とするこの自動車メーカーが1955年にレースから撤退した際、D50は1956年のF1シーズンに向けてフェラーリに譲渡されました。ただし、V8エンジンを搭載したこのレーシング・マシンは、そのデザインがフェラーリのものと幾分異なっていたために、すぐさまマラネッロで改造が施されました。アルゼンチンの伝説的なレーサー、ファン・マヌエル・ファンジオは1956年にフェラーリ・チームと契約すると、D50で3勝を勝ち取ります。この年はフェラーリが全部で5つのグランプリを制するという黄金の年になりました。このシーズンはファンジオが自身4度目の世界選手権制覇を成し遂げたシーズンであり、コンストラクターズ・タイトルが再びフェラーリの手に戻っています。


50台目のフェラーリF1マシン – 並外れたF2004

フェラーリが完璧に仕立て上げた50台目のF1マシン、F2004は、あらゆる意味において「金の卵」のような存在でした。2004年シーズンには、ミハエル・シューマッハが13勝を挙げたほか、チームメイトのルーベンス・バリチェロも2勝を獲得しています。18戦15勝という成績により、F2004はフェラーリ史上最も成功したF1マシンに位置づけられます。シューマッハはその年、自身7度目となる歴史的なタイトルを獲得。フェラーリでの5年連続となるタイトル獲得です。


J50 – 日本向けのユニークなフェラーリ

2016年、日本のフェラーリは、日本市場専用の限定モデルを用意し、日本進出50周年を華々しく祝いました。そのモデルがFerrari J50です。マラネッロにあるフェラーリのデザイン・センター(Centro Stile)が設計した1台であり、その生産台数はわずか10台でした。フオリセリエ(特別仕様)というフェラーリのカスタム・ビルドの伝統が息づいた各モデルには、オーナーの要望に沿った特別なカスタマイズが施されました。


フェラーリのF1での50回目の勝利 – スクーデリアにおけるラウダの初勝利

1974年にフェラーリと新たに契約を交わしたニキ・ラウダは、シーズンを通してフロント・ランナーのように見えましたが、312 B3-74では勝利を収めていませんでした。1974年4月、スペインのマドリッドで開催されたF1第4戦、ラウダは非常にウェットなコンディション下、ポール・ポジションから並外れたレースを披露し、フェラーリでの初勝利を獲得しました。それはスクーデリアがF1で獲得した50回目の歴史的勝利でもあったのです。


Ferrari 330 P カーNo.50 – デビュー戦での勝利

フェラーリの伝説的な王朝時代を初めて築き上げた330 Pは、1964年にサーキットに登場。10月25日にモンツァで開催されたトロフェオ・ベットイアのスタート・ラインに立ちました。ハンドルを握ったのはイタリア人ドライバーのルドヴィコ・スカルフィオッティで、彼のカーナンバーは縁起の良い50でした。3時間におよぶレースで330 Pは圧倒的なパフォーマンスを披露し、かの有名な初勝利を獲得しました。


Ferrari 156 カーNo.50 – もう一つのデビュー戦における勝利

ジャンカルロ・バゲッティは、自身のデビュー戦となった世界選手権ラウンドで勝利を飾った、初めての、そしてこれまでで唯一のF1ドライバーです。そのレースは1961年7月6日にランスで開催されたフランスGPであり、彼の「悍馬」は「シャーク・ノーズ」のFerrari 156でした。息苦しいような暑さの中で52周を走ると、カーNo.50のバゲッティは最後のコーナーでダン・ガーニーのポルシェを追い抜き、10分の1秒先行してフィニッシュ・ラインを通過しました。


Ferrari F333 SP カーNo.50 – 20年後にカムバック、そして再び勝利

フェラーリは1972年のスポーツカー世界選手権を312 PBで制すると、その後20年の月日を経て、クローズド・ホイールのレースにカムバックすることとなります。その復帰初戦、新しいF333 SPは絶対的な優位性を見せつけました。1994年4月17日、米国で開催されたロード・アトランタ2時間レースでは、カーNo.50のマシンを駆ったジェイ・コクランが勝利の喜びに酔いしれました。これは、数多くの勝利を挙げたF333 SPにとって最初の勝利です。最も祝福されたのは、間違いなく1998年のデイトナ24時間レースでした。


カーNo.50 – フェラーリ初

イギリス生まれのレーシング・ドライバー、トニー・ブルックスは、1959年のF1シーズンに向けてスクーデリア・フェラーリと契約しました。彼が駆るFerrari 246 F1のサイド・パネルには、カーNo.50が付けられていました。彼はこの番号を付けて走る最初のフェラーリ・ドライバーとなったのです。1959年シーズンの初戦となったモナコGPで、ブルックスは抜群の走りを見せ、2位でフィニッシュしました。表彰台の第2ステップはシーズンの終わりに彼を待ち受けていました。彼はその年、Ferrari 246 F1のステアリングを握り、フランスとドイツで2つの注目すべき勝利を収めると、ドライバーズ・チャンピオンシップで総合2位を獲得しています。


F50 – アニバーサリー・モデル

フェラーリの創立50周年を祝うにあたっては、新型V12エンジン搭載の壮観なGTモデルを誕生させること以上に適した手段があるでしょうか?F1マシンの製造技術と空気力学を採用したこのモデルは、1995年に「GTの外観を有した仮想F1カー」をオンロード・モデルで実現したのと同じぐらい、純粋で妥協のないものでした。

この記事は、現在発売中のオフィシャル・フェラーリマガジン第50号からの抜粋です。