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06 7月 2021

「歴史は繰り返す」の一例

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「歴史は繰り返す」の一例

ニューFerrari 296 GTBは、最先端の120° V6エンジンを搭載したプラグイン・ハイブリッドシステムによって830 cvを発生しますが、フェラーリがこうした革新的な広角6気筒エンジンをつくったのは、今回が最初ではありませんでした...

文 – ベン・プルマン

Ferrari 296 GTBには、跳ね馬のロードカーとしては新しいタイプのエンジンが搭載されます。120° V6エンジンです。

電気モーターを組み合わせたプラグイン・ハイブリッド(PHEV)システムは、巨大な合計出力830 cvを発生しながら、ペダルのレスポンス・タイムをゼロに抑え、完全な電気によるeDriveモードでの航続距離は25 kmに達します。

こうした革新的なレイアウトのエンジンは、それだけで見ても、無数のメリットがあります。白紙の状態から設計・製造された広角V6エンジンは、低重心化やエンジン質量の低減など、全体としても大きな利点を発揮します。この新しいフェラーリのV6エンジンは、特殊なアーキテクチャーによって非常にハイレベルな出力を発生し、リッターあたり221 cvという、量産車としての比出力の新記録を樹立しています。

新しいV6エンジンは、V字形の内側にターボを搭載したフェラーリ初のロードカー・エンジンです。もっと狭角なパワーユニットでも可能ですが、この120°アーキテクチャーによってターボを中央に配置することができました。これにより、ユニット全体のサイズが大幅に縮小され、インテークラインとエキゾーストラインのダクトの効率が最大限に高められました。

とはいえ、これは跳ね馬エンブレムをつけたロードカーに搭載された初の6気筒エンジンではありますが、フェラーリが120°レイアウトの広角V6を採用するのは、これが最初ではありませんでした...。




新しい663 cvの120° V6エンジンを搭載し、さらに122 kW(167 cv)を発生する電気モーターを組み合わせたFerrari 296 GTB




1961年のF1のルール改正で、エンジンの総排気量は2.5リッターから1.5リッターに引き下げられ、この新レギュレーションのもとで、フェラーリでは初の120° V6を開発することになりました。従来の2.4リッターV6のサイズが縮小されたのと同時に、マラネッロでは広角V6のアイデアが浮上しました。シリンダーバンク間の角度を120°とすることで、重心が低くなり、インテーク・システムのためのスペースが生まれ、内部損失も低下し、エンジン・レスポンスと加速性能が向上しました。

ちょうどスクーデリアでは、1961年シーズンに向け、F1レースカー(および新しいスポーツカー)をフロント・エンジンから新しいミッドエンジン・レイアウトに切り替えつつあったので、なおのこと、この試みはインパクトがありました。さらに、こうしたマラネッロでの全面的な変化に伴い、新しいエンジンはF1カーのシャーシの開発に組み込まれ、革命的なシングルシーターのダイナミクスが最適化されることになりました。




フェラーリ初の120° V6エンジンのデビュー・レースとなった1961年モナコGPで、ライバルのポルシェを寄せつけず、2位につけるゼッケン36のリッチー・ギンサー




新しいミッドエンジンのFerrari 156は、1961年4月のノンタイトル戦のシラクサGPでデビューし、勝利しましたが、搭載されていたのは総排気量を縮小した狭角V6でした。革新的な新しい広角エンジンのデビューは、5月14日にモナコで開催されたF1世界選手権の開幕まで待つ必要がありました。

この車をドライブしたのはテストドライバーのリッチー・ギンサーで、金曜日の練習走行では最速タイムをマークしました。チームメイトのフィル・ヒルとヴォルフガング・フォン・トリップスは、どちらも古いエンジンを使用し、それぞれ4位と5位でした。最終的にポール・ポジションを獲得したのはスターリング・モスでしたが、ギンサーも前列からスタートし、最初のコーナーでリードを奪って以降、14周目まではスターリング・モスを寄せつけませんでした。

100周後にスターリング・モスがトップでフィニッシュしましたが、このモナコのときほどハードなレースはなかったと、のちに告白しています。ギンサーはわずか3.6秒遅れでフィニッシュし、この2人はファステスト・ラップを叩き出しあいました。ヒルとフォン・トリップスは3位と4位につけましたが、ヒルはギンサーのマシンのロード・ホールディングの素晴らしさを絶賛しています。

1週間後のドイツ・グランプリでは、フェラーリのチームメイトは3人とも新しい120°エンジンを手にし、これ以後、マラネッロ・チームが選手権で圧倒的な成績を収めていきます。スクーデリアがエントリーした全レースでフェラーリ車がポールを奪い、真っ赤なマシンを除けば、スターリング・モスだけがもう1回優勝を手にすることができましたが、続くイタリア・グランプリではヒルがチャンピオンに輝きました。




1983年のF1シーズンでスクーデリアにこの年最初の勝利をもたらし、チームの2年連続コンストラクターズ選手権制覇に貢献したパトリック・タンベイ




スクーデリアのレーシングの歴史上、広角V6を搭載したフェラーリ車は、Ferrari 156だけではありません。1980年代初頭にも、再び120°の角度が選ばれました。当時、F1ではターボが主流となっていましたが、究極のアドバンテージを求め、スクーデリアでは120°の1.5リッターV6をベースとした2つのタイプの過給エンジンを製造しました。

このエンジンは、かつてのV6特有の設計ではなく、一般的なレイアウトを復活させたもので、スーパーチャージャーを実験したのち、最終的にエンジンのシリンダーバンク間に2基のターボを配置するデザインに落ちつきました。これもフェラーリにとっては初のことで、このレイアウトはFerrari 296 GTBでも共有されました。

1981年、フェラーリ・チームは2勝を挙げましたが、そのうちの1回目の勝利はモナコで、ターボ・マシンによるものでした。予想では、曲がりくねった狭いストリート・サーキットには適していないと思われていましたが、ジル・ヴィルヌーヴの手にかかるや、比類ない強さを発揮しました。3週間後、スペイン・グランプリで再びジル・ヴィルヌーヴは表彰台の頂点に立ちました。

1981年は新しいマシンにとって前途有望なデビュー・シーズンとなり、その後のシーズンでも、スクーデリアはますます強さを見せつけることになります。まさにターボさながらのパワーで、1982年のコンストラクターズ選手権ではFerrari 126 C2で優勝、さらに1983年にはFerrari 126 C3で2度目のタイトルを奪いました。

そして今、この特別な遺伝子は、ついにFerrari 296 GTBにおいてロードカーに流れ込むことになったのです。