フェラーリにとって販売台数を増やし、生産コストを抑えることは避けては通れない道になりつつありました。ディーノ 196Sというプロトタイプがすでにファクトリーで完成していたこともあり、比較的小排気量で、フェラーリにとって初めてアッセンブリーライン上で組み立てることのできるロードゴーイングカーを設計する千載一遇のチャンスでした。ピニンファリーナが伝統様式に則った素晴らしいラインを描いた一方で、フィアット製V6をミドシップに横置きできるようにフェラーリが開発を進めました。
このモデルは当初、“本物の”フェラーリではないという理由で、純粋主義者から反発を受けています。しかし顧客が実車を間近に見て、実際に運転してみるとそうした声はたちどころに消えてしまいました。当時のカタログモデルより小さなエンジンを積んだフェラーリが生まれたのは、1967年のF2レギュレーションが引き金でした。新レギュレーションは、F2に搭載できるエンジンは生産型をベースとして、連続した12カ月に500台以上生産されたユニットと定めていたのです。
当時のフェラーリではこれに適うエンジンを、これほど多数生産するなど望むべくもありませんでした。そこでフェラーリは、レースを続けるために、フィアットと手を組むことを決めたのです。フィアットがエンジンを製作し、彼らの製品系列でも上級のフロントエンジンモデルにディーノの名前で搭載する一方で、同じエンジンをフェラーリにも供給しました。
このモデルは当初、“本物の”フェラーリではないという理由で、純粋主義者から反発を受けています。しかし顧客が実車を間近に見て、実際に運転してみるとそうした声はたちどころに消えてしまいました。当時のカタログモデルより小さなエンジンを積んだフェラーリが生まれたのは、1967年のF2レギュレーションが引き金でした。新レギュレーションは、F2に搭載できるエンジンは生産型をベースとして、連続した12カ月に500台以上生産されたユニットと定めていたのです。
当時のフェラーリではこれに適うエンジンを、これほど多数生産するなど望むべくもありませんでした。そこでフェラーリは、レースを続けるために、フィアットと手を組むことを決めたのです。フィアットがエンジンを製作し、彼らの製品系列でも上級のフロントエンジンモデルにディーノの名前で搭載する一方で、同じエンジンをフェラーリにも供給しました。
最初のプロトタイプに続いて1966年のトリノ・ショーにもう1台が登場しましたが、やはり縦置きミドシップでした。このプロトタイプは楕円形のラジエターオープニングと、フェンダーに埋め込まれ、パースペックス製カバーの付いたヘッドライトを特徴としています。キャビンルーフが高くなり、最初のプロトタイプに見られたリアウィンドウとクォーターパネルを引き継ぎます。コーナーバンパーが備わることが、コンセプトカーから生産型へと進化していることを示しています。1967年に登場した3台目のプロトタイプでは、ボディはほとんど最終型になっていました。エンジンカバーとトランクリッドはまだ1枚パネルで、ドアのえぐりを貫通するプレートは姿を消し、発表になったばかりの365GT2+2のドアハンドルが早くも付いていました。軽合金ホイールは、フィアット・ディーノと瓜二つでした。しかしながら、もっとも注目すべき変化はエンジンカバーの下にありました。V6は90度回転して横置きとなり、一体型5速トランスミッションがその下、オイルサンプ後方に置かれていました。トランスミッションとサスペンションの設計、開発、製作はすべてフェラーリが社内で行っています。1967年11月のトリノ・ショーまでにボディ細部の微調整は事実上終わっており、展示された1台は生産型とほぼ同一でした。初期型プロトタイプとの相違点を以下に挙げます。
ラジエターアウトレットが3本、フロントリッドの2カ所に開いている。
エンジンリッド上にこれとマッチする熱気抜きスロットが開いている。
ウィンドウシールドの傾斜角がきつくなった。
エンジンとトランクリッドが分離した。
トリノ・ショーに展示されたクルマは、1968年1月のブリュッセル・ショーにも展示された後、テスト車両になっています。最終生産型には透明なパースペックス製ヘッドライトカバーがなく、ドアガラス後方にクォーターウィンドウが追加されています。なお、206GTは左クォーターパネルにクロームメッキの施された燃料注入口が露出しているので、後期型である246GTと容易に見分けが付くはずです。
生産は1968年に始まり1969年まで続きました。1969年、2リッターエンジンは2.4リッターエンジンに換装され、細かい変更とともにディーノ246GTが生まれました。9カ月の生産期間中、およそ150台のディーノ206GTが生産され、そのすべて左ハンドルでした。生産車ボディはホイールベース2280mmのティーポ607シャシー上に架装されます。 2本のメインチューブが縦方向に走り、クロスメンバーとサブフレームでボディを支えるという構造は、これまでのフェラーリの文法通りです。このクルマには、ディーノ・ブランドのもと、新しい偶数のシャシーナンバーが打刻され、同時代のフェラーリロードカーの奇数番号と区別されています。初期のプロトタイプには、フェラーリのコンペティション用偶数番号と、ロードカー用奇数番号の両方のシャシーナンバーが混在しています。
サーボアシスト付きベンチレーテッドディスクブレーキが全輪に備わり、4輪ともダブルウィッシュボーン、コイルスプリング、油圧ダンパーによる独立サスペンションで、前後にアンチロールバーを備えます。丸みを帯びた滑らかなボディスタイルは世界中で賞賛されました。曲面からなるフロントフェンダーは破綻なくキャビンに流れ込み、上部にえぐりのあるドアパネルを通過して、リアフェンダーのカーブに融け込み、カムテールにより、すとんと切り落とされています。キャビン後方のリアクォーターパネルはフィン形状をなしています。本体がスチール製で開口部のパネルのみアルミ製が一般的だったのに対し、今なおデザインの最高傑作と広く認められているディーノ206GTのボディは総アルミ製でした。テールパネルには1組の丸形ライトが備わります。これは、ほぼ同時期に存在した365GTB/4“デイトナ”と共通する特徴です。楕円形のインストゥルメントパネルにアルミ板を張り、盤面が黒の丸形計器を配している点も両モデルに共通しています。
ティーポ135Bエンジンはバンク挟角65°で、各バンクあたり2本のカムシャフトはチェーン駆動。86mm x 57mmのボア・ストロークから1987ccの排気量を得ています。シリンダーブロックはシルミン軽合金の鋳造で、ライナーは鋳鉄、シリンダーヘッドを始めとする様々な鋳造パーツはシルミン軽合金製となります。エンジンはオールシンクロメッシュ5速トランスミッションと一体に横置きされています。トランスミッションアッセンブリーはエンジンのウェットサンプの下、後方に位置します。ツインチョークのウェバー40 DCN F/1キャブレター3基は、ディストリビューターと電子制御添加システムもろともVバンクのなかにマウントされ、公表出力180hpを発揮しました。
ディーノは独立したブランドして売り出されましたが、フェラーリの遺産をあますことなく受け継いでいたことは間違いありません。「小粒で鮮やか、そして安全……まさにフェラーリ」。そう書かれたセールスカタログにもあるように、ことさらこの点を強調していました。